光への階段 -July issue-

光への階段 -July issue-

こんにちは。tonoです。

バンコクも雨季に入りましたね〜〜!
でも、今年はあまり降ってないですね。
3年前来た時は、驚くくらい降りましたけれど。。。
地球規模の気候の変化のせいでしょうか。
水不足とか心配です。

今思えば、バンコクに来る前の数年は、私の人生、水不足で干上がってました。

私はほぼ2年おきに、カズノコさんの転勤で引越しをしていました。4年目に突入のここバンコクは、今までの中で一番長い居住地となります。

バンコクに来る数年前、東日本大震災が起こります。
この時は愛知県にいた私。
まるで船底にいるかのように、ゆっくりと自宅が揺れていました。

大震災の4か月前に私はトト子ちゃんを出産したのですが、震災直後からカズノコさんの親戚が我が家へ避難し、総勢10名が我が家で暮らした時期がありました。

義母をはじめ、皆料理が不得意という事で、産後の私は10人の食事を引き受ける事になりました。もちろん食事以外の掃除などは手伝ってくれました。
私は精一杯お世話しました。
安心できる居住地が見つかるまで、しばらくそんな日が続きました。

この頃から少し、私は体調が優れなくなります。たまに腰、背中が痛くなり、整体へ行ったりしました。
この先生は、父、母もお世話になっていた先生で、私がトト子ちゃんを妊娠した時に、鼠径部の痛みから歩けなくなったのを、助けてくれた先生でした。

この頃、母にだけ先生は伝えていたようなのです。

「私には爆弾がある」と。

だから、私には毎週続けて通って欲しいと言われていたようです。

そうとは知らず、それぞれの落ち着き先を探しながら、10人の家族で暮らした日々から、1年後。私達は東京へ引っ越します。
私は愛知県の整体を離れなければならなくなりました。

この頃の母の一言を、私は覚えています。

「この子は(カズノコさんに)ついて行かないといけないと思ってるから。。。」

聖書の勉強をやめたといえども、今までの考えが一挙に変わるわけはなく、私は家族は皆一緒にいないといけないと、考えていました。
多分母のあの一言は、先生の一言から私を心配しての事だったのだと、今は分かります。

あの頃の東京では、まだ余震が頻発にありました。
食べ物や地面にも、放射線が残っていると言われていた頃で、トト子ちゃんもまだ一歳で、愛知県にいた頃より心配事が色々増えていました。

カズノコさんは頻発に海外出張が増え、そんな中、近所で放火があったりと、私一人で今まで以上に子供を守らないといけないと感じる日々が続きました。

東京へ引っ越ししてから8か月後、私の身体は、生きてきた中で一番辛い痛みに襲われます。

それは、カズノコさんが海外出張から帰って来た日の夜でした。
夕方くらいに、左脇腹から腰の辺りが、チクチクと痛みました。

ん?コレはギックリ腰系か⁉

背中や腰の痛みがまだ続いていた私は、東京でも時々近所の接骨院に通っていました。

カズノコさんが帰って来るまで、まだ時間がある!
ギックリになって子供の面倒を見れなくなってしまうとマズイから、先に接骨院へ行っておこう!と思った私。
接骨院へ行くとあら不思議!痛みがふきとんだんです。

その夜カズノコさんは、海外から疲れ果てて帰宅し、子供と一緒にすぐに寝てしまいました。
私は、家の事を済ませて、リビング(和室)で寝転んでくつろいでました。

そこへやってきた、何とも耐え難い痛み。
私なりに表現してみると、背中からエイリアンが産まれるかのような痛み。
背中から腰にかけて激痛が続いて、踏み潰されたカエルのようにペタンコ状態、声を出すことが出来ず、立ち上がることも出来ず、数ミリづつ這いずりながら何とか携帯を手にして、カズノコさんの携帯と、家の電話を鳴らしました。

でも出張の疲れから、カズノコさんは起きません。子供達もおきません。

寝室まで行けない私は、そのまま痛みと戦いながら5時間ほど耐えていました。次の日の未明(3時ごろ⁇)、帰ったまま寝てしまったカズノコさんが起きてきます。
私は、痛いからどうにかして欲しいと頼みます。

カズノコさんは、以前から、私の背中と腰の不調は筋肉がないからだ‼とよく言っていました。
更に、整体を信じられない人で、整形に行って痛み止めをもらう事を好む人でした。

なので私がギックリ腰とでも思ったのでしょう。
私にロキソニンを渡して来ました。
もう5時間耐え抜いた後で、早くどうにかして欲しくて、私もそれを飲みました。

コレがそもそもの間違いでした。。。

この時救急車ででも、病院に運んでくれていたら。。。
薬を飲んでしまった為に、あんなに酷かった痛みが、薬を飲んでる間は痛くなくなってしまったのです。

でも、身体に力が入らず、立ち上がる事が出来なかったので、カズノコさんは、トト子ちゃんの面倒を見るために会社を休みます。近所の接骨院の先生が訪問マッサージをしてくれるというので、お願いをして来てもらったのですが、マッサージ中にも又、あのエイリアンが産まれるような痛みが走ります。

私は「痛い!痛い‼」と叫びます。
でも、先生は「酷いギックリ腰です」と言うのです。

なかなか立ち上がれない私。カズノコさんは、もう会社を休めないからと、私の母を呼びます。
母は仕事を休んで直ぐに来てくれました。
接骨院の先生に「本当にギックリ腰なのでしょうか?内臓が悪かったりしませんか⁇」と何度か聞きましたが、先生の返事は変わりませんでした。

激しい痛みから10日が経った頃、やっと私は自分でトイレに行けるようになります。壁にもたれかかりながらですが、母も仕事をこれ以上迷惑をかけられないと思い、もう大丈夫だから!と、帰ってもらいました。

母が帰った夜、今度は冷や汗と、震え、寒気などが私を襲います。
コレは絶対におかしい。。。と思い、カズノコさんに訴えます。が。。。

じゃあすぐに病院へ行こう!
救急外来で!

と言ってくれる訳もなく、

オレはもう会社休めないからな!
明日自分で行ってこい!

と言われた私。
幼いトト子ちゃんを一人で置いていくわけにも行かず、車の運転なんてとんでもないので、タクシーを呼んで、這いずるように乗り込み、運転手さんが凄く心配してくれて(他人の方が心配してくれるなんてね。。。)何とか病院へ。

診断は骨盤内炎症疾患。

骨盤内の子宮、卵管、腸などの臓器が炎症を起こして腫れあがっていました。
病院で内診がありましたが、もう触らないで‼って言ったほど痛かった。

すぐに病院に来ていれば、劇的に効く点滴で治ったそうなのですが、10日も放置してしまったので、抗生剤で地道に治す事となりました。
そして放置の結果、慢性化してしまうかもしれないと言われました。

病院の先生から

何か嫌な事とかあった⁇

と聞かれました。でもこの時の私には何も思い当たらず、分かりませんと答えました。先生は

酷いストレスからきてると思うよ

と言いました。引っ越しして間もない話をしたら、

2年おきの引っ越しは、自分が大変と思ってなくても、大変な事だよ。そういう疲れもあるのかもしれないね。
ゆっくりしないとダメだよ。

と言ってくださいました。
でも、今こうして自分を振り返って書いていると分かります。結婚してからのストレスが少しずつ積み重なっていた事を。。。

病院から帰ると、昨日帰った母から電話が来ました。

今、(愛知県でお世話になっていた)整体の先生に、tonoちゃんの事を話したら、すぐに病院に行けって!

と。母は怪しいと思いつつも、東京の接骨院の先生は、酷いギックリ腰と言うし、カズノコさんもそう思っているのが分かったから、なかなか言えなかったそうで、整体の先生にもっと早く連絡すれば良かったと悔やんでました。

家での治療が始まりました。
私は当たり前ですが、接骨院はやめました。
思いの外、治りが悪く、沢山の量の強い薬を何日も飲んで、やっとの事で日常生活を送れるようになりました。

病院にも通わなくて良くなったのですが、
その後薬の副作用か、何も食べてもいないのに、ゲップが止まらなくなりました。
何ヶ月も続くので、検査した方が良いと、大学病院に行くようになりました。でも、なかなか原因が分かりません。

そして、まだ時々背中や腰が痛くなり、
辛いと、顔に出るようになりました。
更にシンドイ時はすぐに横になるようになっていました。

どうやらカズノコさんには、
コレが許せなかった。

カズノコさんの中では、前回の痛みが治まって、抗生剤治療が終わった時点で完治。そこからは普通に動けるでしょ!という考え。

だから私にこう言い放ちました。

いつまでも病人ヅラ
してんじゃねぇ!

私の闇に蝕まれた心が、完全に暗闇に落ちた瞬間でした。

■infometion

tono

バンコク普通の駐妻 三年目
ブロガー  https://ameblo.jp/tono445/
ハードボディー持ち

By | 2018-06-29T08:24:54+00:00 6月 29th, 2018|人気連載|0 Comments

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管理人ですよ。

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