光への階段 -Jun issue-

光への階段 -Jun issue-

こんにちは、tonoです。
バンコクも雨季が近づき、曇りの日が多くなって来ましたね。

タイの雨季の雨は、日本とは違い、黒い雲がやって来たな!と思うと、ドバーッとバケツをひっくり返した様に降って、しばらくするとやむといった具合ですよね。

私はタイの雨の降り方が好きです。

うわぁー降って来た〜〜‼って思っても、きっとそんなに長くは降らないだろうって、気持ちが軽くなるんです。
そして、突然やって来たこの時間を、ゆったり、ゆっくり、自分の為に使おうって。

十数年、心からの幸せを感じる事なく、雨の降り続いた私の人生。
あの時は、そのうち雨が上がるなどど考えられなかった私。
でも今は、”上がらない雨はない!”って思える自分がいます。

もし十数年の間に、離婚を決意していたら。。。

バンコクには来なかったでしょうし、
あゆみ先生にも出会わなかった。
そして多分、私もこうやって変われなかった。

そう!人間は変わる事ができる。
でも、人間を変える事は出来ない。

この事を身をもって感じ、学んだ十数年。

13年前の春、私はおそ松さんを出産します。
おそ松さんは、私の母にそっくりです。
正直見た目は、カズノコさんの家系の血を感じないくらいです。
もしかしたら、ホントに俺の子か⁉と思ったかもしれません。

自分は、父親に全く遊んでもらった事がないから、どう接して良いか分からないと、そんな言葉を一度こぼした事もありましたが、カズノコさんは正直子育てに協力的ではなかったです。

おそ松さんを可愛くて仕方ないと言った印象もなく、抱っこしてちょっと外を散歩する事もなく、写真やビデオを撮る事もなく、私が疲れ果てていても、夜泣きの多かったおそ松さんの面倒を代わりにみるなんて事もほぼなく、どうにかしろと私をいつも起こしたり、車で泣き出すと、子供を心配するのではなく、うるさいお前がちゃんと面倒見ろよ!なんて事を言われた事もありました。

更に向こうの両親はおそ松さんを見にくる事はなく、1歳10ヶ月の時にやっと福島まで会いに行くまで、おそ松さんに会いませんでした。
こう言ってはなんですが、それは多分、女の子だったから。
後継ではないから。そう思っています。

出産後、私は最初の産後検診までの1ヶ月は実家にいる事を許されました。

夜中に何度も泣き起こされ、もうどうして良いやら参っていると、よく助けてくれたのは私の父でした。

tonoちゃん、おそ松さんみててあげるから、少し寝なさい。。。

泣きやむまで、夜中でもずーっと子守唄を歌いながら、おそ松さんを外に連れ出して散歩したり、寝かしつけてくれた父。
その子守唄は、姉と私の時に歌ってくれていたものと全く一緒!! 父オリジナルの子守唄。

今も尚、私達にかけてくれた愛情と同じだけ、孫にも愛情を注いでくれる父。

父だけでなく、母にも、時には姉にも助けられた、最初の1ヶ月。
でも社宅に帰ると、また一人ぼっち。

悲しいくらいに、一人で子育てしている感満載の日々が、私を待ち受けていました。

赤ちゃんの時は、まだ仕方ないとも思いました。

でも、一歳過ぎて歩き出すようになった頃の休日、私が(掃除をしたいから、おそ松さんを見てて欲しいなと思い)、おそ松さんを散歩にでも連れて行ってあげてくれる?と頼んだ時、帰ってきた一言。。。

嫌だね!

今でも忘れられないこの一言。
手放さなきゃと思うのに、蘇る。
それは私がこの言葉をキッカケに、

この子は私が守らなきゃ!

と、強く思ったからです。

私はカズノコさんに特別な事をして欲しい訳じゃなかった。ただ普通に、おそ松さんを抱きしめて、休みの日は近所の公園で遊んであげたり、本を読んであげたり、それだけで良かったのに。。。

返ってくる、愛のない言葉に疲れて来た私は、もう頼らない方が気持ちが楽だと感じ始めてました。

でも、おそ松さんに寂しい想いだけはさせたくない!
だから、父親がしてくれるであろう部分も、私がカバーしてあげなきゃ‼

多分この頃から、ホントの意味での私1人の子育てが始まったんだと思います。

言い返した事もありました。
でもカズノコさんは、逆ギレして、これでもか!というくらい、私に言い返して、メタメタに傷つけてきました。

赤ちゃんや、小さい子のいる家庭。掃除が行き届かない時だって普通にある。
でも、ムシの居所が悪いと、

ホント汚ったねぇ〜なこのうちは!

となじられました。
でも私は正直普通の家より綺麗にしてたと思っていて、カズノコさんは潔癖なのかなと考えたりもしました。

が、自分の靴下が脱ぎっぱなしだったり、晩酌の跡がそのままだったり、エアコン、テレビつけっぱなしで寝てたりしても、平気。お風呂も好きじゃないから、夜入らない事なんて今もあります。
こりゃ潔癖な訳ではないな。ただ、何をやっても自分は悪くない。でも、気に入らない事があると、言い返されないように、相手にトドメを刺すくらいの事を平気で言う。
そんな感じでした。

多分この頃から、私の心は段々闇に蝕まれ始めてました。

友達にガズノコさんの嫌な話を聞いてもらったりすると、
tonoちゃんごめん!
私はこの旦那さんダメだ‼
と言われたことが、何度かあります。多分、思っていても気を使って言わにずにいてくれてる友達も多いと思います。

では何故、十数年離婚せずにやってこれたのか?
それは、私の心の根底に聖書の教えがあったから。

主人に従順でありなさい(DV夫とか酷いのは別ですよ‼逃げたり、助けを求めたりする事は大切ですよ‼)
幸せな家庭を築くには、全てのことに感謝の気持ちを持ち、妻は夫を尊敬し、妻のあるべき姿で思いやりを持って接する。

子育てでもそうですが、何かの指針があると、心が楽になりますよね。

私にとってそれが聖書でした。
そしてこの頃は一番聖書を信じてたと思います。それは私が、尊敬と感謝を持って接すれば、カズノコさんが変わる。そう強く信じていたから。

でも、すぐに壁はやってきます。
神様、宗教、スピリチュアル、この類のモノを全く信じず、大嫌いなカズノコさん。
私が聖書を勉強していると知るやいなや、

すぐに辞めろ!気持ち悪い!
辞めないなら離婚だ〜〜‼

幼い頃から学んでいた聖書。
すぐにハイそうですかと止める事も出来ず、捨てる事も出来ず。
そして、離婚も出来ず。

何故なら聖書は不倫以外の離婚を許してないから。

私は、教えを守らなければ!と、何とか離婚を阻止しようと頑張ってました。
でも、今まで培った信条をすぐに捨てる事は出来ず、私は隠れて聖書を勉強するようになりました。

怒鳴られ、なじられ、おそ松さんにさえ酷い言葉を言い放つ。でもそれに耐え、子供を守り、いい奥さんで、いい母親でいなければ‼
離婚の危機も、子供に可哀想な想いはさせられない!その一心でカズノコさんにすがりついていたかもしれません。

そんな日々が、結婚して6年ほど続きました。

3度目の引っ越しをした頃、聖書を続けているのがバレ、又大きな離婚の危機がやって来ました‼

6年頑張っても又壁がやってくる。
もう、頑張れないカモしれない。。。

と思った1週間後。トト子ちゃんがお腹の中にいる事が分かります。

この出来事で、離婚だー!とカズノコさんは言わなくなります。
でも、あっそう。という反応で、喜ばれた事はなかったです。

タイミング悪く、2人目も又、心から望まれて出来た子ではなくなってしまった。。。ごめん。
私の中に、おそ松さんができた時の出来事が蘇ります。

結局あの時と同じ。
何も変わらなかった、変えられなかった。
離婚を避けるのも、いい奥さん、いいお母さんでいるのも、幸せな家庭を装うのも、もう疲れた。。。

私は20年学び続けた聖書の勉強をやめ、心に信じるものを無くします。
そして感じます。

人間を変える事は出来ない。

そしてこう考え始めます。

思った事、感じた事、言いたい事、日常の些細な出来事でさえ、自分の考えと違う事を言葉にするとカズノコさんは、傷つけてくる。ならば

もう考えなければいい!
感じなければいい!
話をしなければいい!

そうすれば、私の心は傷つけられず、楽でいられるのかもしれない。。。

辛うじて心に残っていた小さな灯火が消えジワジワと根付いた闇が心を蝕み、私は感情を無くし始めました。

 

■infometion

tono

バンコク普通の駐妻 三年目
ブロガー  https://ameblo.jp/tono445/
ハードボディー持ち

 

By | 2018-05-24T12:57:49+00:00 5月 29th, 2018|人気連載|0 Comments

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管理人ですよ。

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